能登英輔の「のとのーと」

札幌で役者として活動する能登英輔のブログ

 

 

クローバーの5。(ホラー)

つい先日、夜も更けてきたころ。

下の子を寝かしつけに妻は寝室に行き、私は息子とテレビを見ていた。

テレビに飽きてきた息子が突然「パパ、UNOをやろう」と言うのだ。

しかしながら二人でUNOをやる虚しさと言ったら、鳩にエサをやってみたものの見向きもされない時と同レベルくらいに虚しい。

特にUNOストップなんてしようものならその場の寒々しさは想像もしたくないものだ。

まだその恐ろしさを知らない息子にどうにかこうにか私の持ちうる限りの大人の話術を駆使し、その目先をトランプに変えることに成功したのだ。

さて、トランプ。

何をしようか、と悩むこともない。

何故なら息子ができるのは神経衰弱か七並べしかないのだから。

やることになったのは神経衰弱。

神経衰弱。

とんでもないネーミングのこのトランプゲームが何故か息子は好きなのだ。

今のところ息子はゲーム中一切神経を衰弱させていなさそうなのだが、息子をうまく誘導しながら接戦に持ち込まなければいけない私の方はなかなかに衰弱するのである。

いつものように滞りなく接戦で終わらせ、そろそろ我々も床につこうかと思っていたのだが息子がまだトランプをしたいとごねるもので、仕方なくもう一勝負。

今度は七並べだ。

七並べ。

七を起点に数字を繋げていくだけのこのゲーム、一見単純なようでいじわるの極致であることを知るものは少ない。

いつものように肝心な数字を私が止め、息子を困らせていると「もう出すカードがない」と言うのだ。

いや、そんなはずはない。肝心なカードは留めているもののまだまだ余裕のあるゲームメイクをしていたはずだ。

仕方がない。クローバーの5を出しなさいと指示をする。

私が持っていないカードはすなわち息子が持っているカードなのだ。

ところがである。

息子が「クローバーの5はない」と言うのだ。

そんなはずはない。私の手持ちにないのだから。

何度確認させてもないと言うので、仕方なく私が確認することになった。

ない。確かにない。

おかしい。それでは私の手持ちの中にあるというのか。

念のために確認してみたがやはりない。

当然だ。自分の手持ちを間違えるなどというミスをこの私がするはずがないのだ。

桃太郎電鉄モノポリー、その他様々なゲームで幾多のものを打ち負かし怒らせてきたこの私がそのような凡ミスをするわけがない。

しかしそうなるとクローバーの5はどこに行ったというのだ。

直前にやっていた神経衰弱は滞りなく終わった。

つまりそれまではすべてのカードが揃っていたはずなのだ。

それから七並べにうつるまでにトランプをばらまいたということもない。

結局何度となくチェックを重ね、周りを探したがクローバーの5が出てくることはなかった。

あれから数日経った今もまだクローバーの5の行方はわからないままだ。