能登英輔の「のとのーと」

札幌で役者として活動する能登英輔のブログ

 

 

綺麗事。

人生長くても100年くらい。

綺麗事で生きてたっていいじゃないか。

 

いつの頃からか、ちょっと良いこと言ったり行動したりすると「かっこつけやがって」みたいな風潮になってますよね。

何なんでしょうアレ。

有名人がボランティアすれば好感度上げようとしてるとか、募金ですらやいのやいの言われるご時世。

よくわかりませんね。

 

昔にも書いたような気もするけど、僕は人に喜んでもらいたいのです。

それすらも偽善だなんだと言われたらもう何も言うことできないんですが。

僕みたいな何の取り柄もない人間は人に喜んでもらうことくらいしか存在価値がないんですよ。

いや、別に卑下してるとか暗い気持ちで言ってるわけじゃないんです(笑)

存在価値がどうこうと言うより、人に喜んでもらうことが僕の喜びなのです。

僕が何か言って人がひと笑いしてくれるだけでとても幸せです。

どうしてそうなったのかわかりません。

極貧でもなく、とても裕福だったわけでもなく、一般的な家庭でごく普通に育てられたと思ってます。

不自由なく生活させてもらえていた時点で幸せなことだとは思いますが。

 

とまあ色々言いますが、自分を犠牲にしてまで相手のことを考えてるわけではありませんので割と勝手です(笑)

めちゃくちゃ疲れてる時なんかは地下鉄とかでも席譲りませんしね!!

譲らないというか、寝ちゃったり放心したりしてるので気付かない(笑)

「良い人」とか「優しい」とか言われることもありますが、きっと本質は違いますね。

ある意味自分のことしか考えてないのかもしれません。

そう考えると、偽善というのは合っているのかもしれないですね。

でも僕は昔から「偽善」でいいじゃないかと思ってます。結構じゃないかと。

よく、しない善よりする偽善と聞いたりしますが、その通りだと思うんです。

 

上で書いたことを例にすれば、仮にどんな下心があったとしてもボランティアや募金してくれた方が、してもらった側のためになりますよね。

それでいいじゃない。

 

僕が車の時は、目的地が同じ場所なら知らない人でも乗っけていってあげたい。

いっぱい買い物袋を手にした妊婦さんを見かけたときとか、雨がひどい日なんかは特に「乗っていきますか?」って言いたい。

あ、でも人見知りだから話はできないと思いますけど(笑)

でもね、今のご時世そんなこと出来るわけないし自分がそうされても絶対着いていかない。

悲しいものですね。

 

偽善すらもしにくいこんな世の中じゃ。

ポイズン。